毎回苦しみを選択する理由

苦しみと失敗の連続。確かに喜びもあったし小さな成功もあったけれど、最終的には苦しみを選びたくなってくる。

不思議な感じがするけれど、うまくいっていると不安になってくる。その不安を押し殺して喜びを求めようと思っても無駄だ。不安がさらに大きくなり、苦しみたいという欲求がものすごく大きくなってくる。

そしてその結果苦しみが実現する。

思考は現実化するというけれど、まさにその通りだ。

ではなぜ苦しみを求めようとするのか。苦しみを求めることで自分にはどんなメリットがあるのか。

それを詳しく見ていくと、あることが見えてきた。それはとてもとても大きな承認欲だ。誰よりも苦しんでいる自分、そしてその中で頑張っている自分。それを見てもらいたいと思っていることに気づいた。

「俺はここにいて頑張っているんだ。この俺を認めてくれ!」

そんな感じだった。これはまさにエゴだ。分離意識の中で発達したエゴがそう叫んでいる。本来は自分は全く欠けていないし、認めてもらう必要もないのにこう叫ぶのは面白い現象だ。

この勘違いから目覚めるためにはやはり観念を手放すのがいいように思う。観念があるから無駄な判断が生まれ、無駄な反応が生まれ、勘違いが発生してしまう。

ただ、観念は悪いものだからと決めつけて取り除こうとするのではない。それではいつもの「良い、悪い」の判断の世界、つまり二元の世界になってしまうので、ただ観念があるのを認めそれを手放すだけだ。それだけでいい。

私の場合は苦しみや失敗を選択する観念だったが、この観念を書き換えて成功することもできるかもしれない。ただそれでは「成功している俺を見てくれ!俺はすごいんだぞ!」とエゴが叫ぶことになるので、結局は何も変わらない。

やはり観念を手放し本来の状態に戻っていくことが大切だ。