先日、ズボンの中にボールペンを入れたまま洗濯してしまった。
洗濯が終わってから見てみると、白いズボンにボールペンから漏れ出したインクがべったりとついていた。
それを見てとっさに
「うわっ、マジか。やっちまったな。」
と思った。
その汚れを落とせないかなと思い、すぐに洗剤でつまみ洗いしたけれど、インクの量が多すぎて汚れがさらに広がってしまった。
これはもう無理だと思い捨てることにしたのだが、そこでこんな思いがふと湧いた。
「まだはけるズボンなのにもったいないな」
「お気に入りだったから捨てたくないな、なんとかインク落ちないかな」
この一連の流れを見てみると、自分にはいろいろな観念があることに気づく。
この中でまず事実は何かというと、次の二つだ。
- 白いズボンにボールペンのインクがついたこと
- そのズボンをつまみ洗いしたけれど、インクが取れなかったこと。
これだけだ。この事実だけを見るならば何も問題はない。
でもこれを自分の中にある観念を通して見るから問題が生じてくる。
つまりこういうことだ。
お気に入りの大事なズボンという観念があるため、そこからズボンへの執着が生まれ、嫌な感情が生まれてくる。
また、まだはけたのにもったいないというのは、お金には限りがあるという観念があるため、新しいズボンを買うことに抵抗を感じている。
日常生活は様々な観念をあぶり出してくれる。
静かに座っているのもいいけれど、それだけではなかなか観念は見えてこない。
今回もきっと自分の中にある観念に気づくために起こった出来事だったんだろう。そういう意味では「日常生活」は本当にありがたいものだ。