ポジティブとネガティヴを越えて

一年前にポジティブ日記をやってみた。
ポジティブな出来事を書くことで、気持ちが前向きになるというものだ。
さすがに三日坊主では効果を感じられないので、100日は続けようと思った。そのため毎日の負荷を少なくしようと思い、ポジティブな出来事を一日に三つ以上書くことに決めた。

つまりまとめるとこういうことだ。

  • ポジティブな出来事を一日に三つ以上書く。
  • 100日間は毎日続ける。

はじめの1ヶ月程度は特に問題もなくスイスイ進めることができ、継続できている自分にうれしくなった。

しかし2ヶ月目に入り段々と面倒くさくなり、3ヶ月目からは続けるのがしんどくなってきた。
100日達成することはできたが、無理やり達成したような感じだった。

結局、前向きになるはずなのに全くならず、むしろ苦しくなってしまった。

おかしいなぁ。なんでこんな結果になったんだろう。
自分の中に疑問が残った。

それから月日が経ったある日、私はハッと気がついた。そもそも「ポジティブ」とか「ネガティブ」とか分けることが問題なのではないか。思考と同一化し、あれこれ判断しているといずれ苦しくなるというが、それなのではないか。

確かに、ポジティブとかネガティブというのは見方次第でいくらでも変化する。

例えば、仕事を解雇されたというのはネガティブなことに見えるが、それがきっかけで天職のような素晴らしい仕事に出会えたならば、解雇されたことはむしろポジティブな出来事なのかもしれない。

解雇されたという事実は変化しないが、ポジティブかネガティヴかはいくらでも変化する。
それならば、自分の狭い視点からあれこれ判断することにどれほどの意味があるのか。
そこでいちいち反応し一喜一憂することは幸せなことなのだろうか。

私にとっては思考を手放し「在る」でいた方が確かな幸せを感じられるような気がした。

別にポジティブ日記が悪いというわけではない。ただこんな事実があったというだけだ。
ポジティブとかネガティヴを越えて「在る」でいる。そこに安らぎがあるように感じられた。